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今回は、技術者や経営者が本事例を通じて、
- 危機管理に失敗した要因を分析し、今後、失敗を防ぐ方法を把握すること、
- 安全と安心の乖離<かいり>を埋めるために、特に技術者が大きな役割と責任を有していること、
- 公益を優先した内部告発の行為はコミュニティのルールに合わず、制裁を受けることがあること、
などを解説します。
1.事件の概要
(1)在庫牛肉の買取制度(注1)
2001(平成13)年9月10日、日本で初めて狂牛病(BSE:Bovine Spongiform Encephalopathy/牛海綿状脳症)が発生したことを農林水産省(以下、農水省)が発表し、BSE感染の恐れのある牛肉を流通させないことにしました。そこで、BSE感染を見つけるため、国内で解体処理される牛は2001年10月13日から全頭検査が開始されることになりました。それ以前に解体された国産牛肉は、消費者の病気に対する不安から市場に出すことができなくなりました。この対応策として、農林省は国産牛肉の買取制度を発表し、全国農業協同組合連合会(全農)など6業異団体が国産牛肉を買い取り、冷凍保管し市場から隔離しました。対象牛肉は全国で12,600トンに及び、買取助成金は上限で1キログラム当たり1,544円とし、農水省は約200億円の予算を2001年に計上しました。これが、政府補助の在庫牛肉買取制度による牛肉緊急保管事業のスタートでした。なお、2001年10月29日、業界の要請により、買取制度は在庫証明書だけで買い取りができることになりました。
(2)牛肉買取制度の悪用(注1)
この牛肉緊急保管事業が発足すると、大手食肉会社の雪印食品が在庫牛肉買取制度を悪用し、社会から共感を得られない行為をしてしまいました。雪印食品は、2001年11月に安価のオーストラリア産の牛肉30トン(注2)を含む約280トンの牛肉を業界団体に買い取り対象として申請した上、全体で約900万円の補助金を受け取っていたのでした。雪印食品は、オーストラリア産牛肉30トンで600箱分を保管業者の西宮冷蔵(兵庫県西宮市)などに保管を依頼し、買取制度がスタートすると、雪印食品の関西ミートセンター(兵庫県伊丹市)のセンター長は以下の行為や指示をしました。
- 2001年10月29日、西宮冷蔵の社員を呼び出し、安価なオーストラリア産牛肉(レンジャーズバレー)を国産牛肉として買取制度に申請するため、国産牛肉の箱に詰め替え雪印食品ラベルを貼りつける作業の協力を要求しました。
- 2001年10月31日、定休日の朝、雪印食品の関西ミートセンターの従業員8名が保冷車や社用車で西宮冷蔵に乗りつけ、牛肉の詰め替え作業を行いました。作業終了後、西宮冷蔵のゴミ置き場に大量のレンジャーズバレーの空き箱が捨てられているのが目撃されていました。
- この作業と同時に、伝票の改ざんなど偽装工作を西宮冷蔵に指示していました。この雪印食品の偽装行為は西宮冷蔵の水谷洋一社長に対する朝日新聞の取材で発覚しました。当初、雪印食品の吉田升三社長は、この偽装行為は菅原哲明・西宮ミートセンター長の独自判断によるものと説明しておりましたが、その後に本社と関東ミートセンターを含めての会社ぐるみの偽装であったことも発覚しました。
雪印食品は、この不正行為に対する危機管理(Crisis Management)における情報発信の失敗などにより、それ以降は
- 2002(平成14)年1月26日、牛肉加工の製造と販売の停止のほかに、産地偽装と水増し請求も発覚
- 2002年1月29日、社長辞任と食肉事業からの撤退発表
- 2002年2月5日、パート従業員の約1,000名を解雇
などを経て、2002年2月22日に会社解散を発表し、約2ヶ月後の4月30日付で、雪印食品は解散となりました。この偽装工作で、雪印食品は消費から雪印ブランド製品の不買や買い控えなど、市場を通じて厳しい制裁を受けてしまいました。
(3)西宮冷蔵の廃業
西宮冷蔵は、朝日新聞の取材時に、水谷社長が雪印食品の牛肉買取制度の悪用を発覚させたことで廃業に追い込まれてしまいました。
- 国土交通省の方針(注3)
雪印食品の牛肉偽装に協力せざるを得ない西宮冷蔵は、輸入牛肉を国産牛肉と偽った在庫証明書を発行したことで、倉庫業法(国土交通省の所管)により7日間の営業停止処分を受けました。
- 国土交通大臣の見解(注4)
不正を明らかにした西宮冷蔵を、倉庫業法に基づき7日間の営業停止にしたことについて、扇千景大臣は2003(平成15)年1月29日の参議院予算委員会で「倉庫業界の信用を失墜させたことを、内部告発したからといって許されることではない」としながらも「本来なら1ヶ月程度の営業停止の見込みであったが、西宮冷蔵が雪印食品に強要された部分があったことや、新聞取材などの際、自身から明らかにしたことを考慮して7日間にした」と質問に答えていました。
- 偽装公表と荷主への守秘義務の対立(注5)
解散した雪印食品以外にも西宮冷蔵と取り引きを停止する荷主が相次ぎ、倉庫管理事業が成り立たなくなって負債金額が13億円にのぼり、廃業せざるを得なくなりました。偽装を公表した西宮冷蔵の水谷社長は「廃業は悔しいが、食の安全への関心を高めるキッカケをつくれたことの意義はあった」と発言していました。
西宮冷蔵は創業1937(昭和12)年で、社員18名の会社でした。西宮冷蔵の水谷社長は朝日新聞の取材を受けて、保管されていた輸入牛肉を国産牛肉の箱、すなわち、雪印食品の箱に詰め替え、雪印食品のラベルを貼って国産牛肉と偽る工作をした状況を公表しました。西宮冷蔵は公益に対する義務と荷主に対する守秘義務とが対立し、悩んだ末に前者を優先しました。このことにより、取り引き停止をする荷主が続出し、廃業を余儀なくされたのです。
2.食品の安全と安心は技術者の責任
一般的に、ハード面で完全に「安全(safety)」であれば、精神面で「安心(peace of mind)」です。このBSE問題では、肉牛の全頭検査をして「安全」を確認すれば「安心」であるとしました。しかし、肉牛は生後30ヶ月以上経たないとBSE感染が検査によって発見されないことも、すでに解明されておりました。それにも拘わらず日本では「安心」のための全頭検査は生後21ヶ月以上とする方向づけがなされました。すなわち、検査結果で“OK(BSE感染なし)”でも、科学的に「安全」という意味ではなく、単に表現上の「安心」のために全頭検査を行うという内容の要求でした。BSE問題の全頭検査は「安全」と「安心」に乖離があったのです。また、日本でBSEの第一人者である専門家は『検査でBSE感染が発見される牛は生後30ヶ月以上で、多くは子牛の時に感染するが、最初はプリオン量が少なくて、長い年月をかけて次第に危険部位で増加、蓄積し、ついに発症する。プリオン検出の感度が高くないために、検出限度以上の蓄積がない場合、検査結果はOKになる。検査結果が必ずしも“BSEでない牛”を意味しない事実を、国民に、いつ、どのように説明するか、この問題は、牛の危険部位さえ除去すれば、人が新型ヤコブ病になる恐れはない。いくら動機が正しくても、科学的に間違った説明を続ける限り、その信用はいつか崩れる。また、“安心”は消費者が行政を信じることで生じるが、科学的に間違った説明はいつか崩れて“安心”できなくなる』と指摘しています。
この指摘は、全頭検査をしても、生後20ヶ月以下の牛ではBSEを検出することは困難となりますが、脳などの危険部位を取り除くことにより、食肉が汚染される可能性はほとんどなくなることを意味しています。BSE問題によって、食生活に対する不安の増大から食品安全基本法が2003年に施行されました。この法律は「国民の健康保護が最も重要である」という基本認識の下に、危機管理体制の欠落、農業政策の生産者優先と消費者の軽視、政策決定プロセスの不透明、情報公開の不徹底、さらに専門家の意見を適切に反映しない行政問題などが指摘されています。このことにより、国民のなかにある「安全」と「安心」の間の大きな落差を取り除くには、徹底した情報公開による透明性の確保が必要となります。同時に、「安全」と「安心」の乖離を埋めていくことに、専門家である技術者は大きな役割と責任を有しています。なお、今回の対応で最初から全頭検査を実施する方針は「安全」と「安心」を錦<にしき>の御旗にして、生産者サイドの保護を優先する考え方がベースとなり、助成金に税金を投入した結果から、不祥事の牛肉偽装事件に結びついたと考えることもできます。
3.牛肉偽装事件から学ぶべき事項
(1)偽装の不正行為者が企業を崩壊
この事件は、約900万円の利益を得るために会社を失うことになりました。雪印食品は2000(平成12)年度の決算で赤字になり、その上2001年度はBSE問題で食肉の売上が大きく落ちました。業績悪化を回復するために、買取制度を悪用した雪印食品の不祥事は一時的な利益を求めた企業活動に起因しています。企業コミュニティのなかにいる人は「企業のため」と主張しますが、企業コミュニティ(注6)の外に多くの消費者がいることを忘れてはなりません。社会の不利益になることを行って信頼を失い、消費者や顧客から継続的な支援を失っては、企業は存続できません。また、雪印食品は西宮冷蔵に対して伝票の改ざんなどの偽装工作をさせていました。雪印食品は大企業として取引関係で優位にあることを利用し、弱い立場の西宮冷蔵に不正をさせて、その結果、西宮冷蔵の社員も不幸な結果となりました。
一方、この事件の温床として、業界からの要請で在庫証明書だけで買い取りを可能にした変更がありました。これらは業界と政府のなれ合いとも受け取られかねない行為で、買取時の助成金は税金で賄われていました。企業は一時的な利益を求めるのでなく長期的な利益を目指し、なおかつ、その都度ごとに利益を求めることで、企業コミュニティの外側に存在する消費者や顧客などを含む社会(図1(注7)参照)が不利益を被る行為をしてはなりません。
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図1 企業コミュニティと社会(注7) |
(2)危機管理の失敗が企業を崩壊
偽装の不正行為が最も大きな問題ですが、危機管理の失敗も雪印食品のイメージを最悪の状況に陥れ消費者が離れる原因となりました。
- 当初、雪印食品は、偽装は関西ミートセンターによる独断の行為と発表しました。その後に本社や関東ミートセンターも偽装を行ったことが発覚し、雪印食品全体の偽装であったにも拘らず、隠蔽工作をした疑惑を招きました。“ウソ”をついては社会から信用を失い、危機管理に失敗した大きな原因となります。
- 経営者のトップが最初から現物で陣頭指揮を執らず、なおかつ、事実内容を明確に公表しない雪印食品のイメージ低下を招きました。こういった企業の存亡にかかわる不祥事に際して、企業のスポークスマンは社長でなくてはならないという認識が不可欠です。
- パート従業員1,000名の解雇を発表したことが、社会から「弱い者イジメ」と反感を持たれ、雪印食品は消費者から完全に見放されてしまいました。
(3)社会から共感を得られない行為は企業を崩壊
消費者はBSE問題にかなり敏感になっていました。それにも拘わらず、BSEの疑惑を持たれた牛が焼却処分されたと発表しながら、実際は実施されませんでした。また、BSE発症の原因が肉骨粉と疑われているのに、政府は生産者保護のため規制措置を行わなかったことから不信感が高まり、さらに、2頭目のBSE感染牛が出たことで不信感と同時に、不安感が急に高まりました。この雰囲気のなかで牛肉偽装事件が発覚したので、事件発覚後の対応は迅速に行うと同時に、“ウソ”をつかないことは社会の共感を得るために不可欠でした。
<参考文献>
「大学講義・技術者の倫理・学習要領」杉本泰治・橋本義平・安藤正博共著、丸善出版、2012年8月
- <注釈>
- 注1 注1 朝日新聞、2002年1月23日朝刊「国産牛肉買取制度」
同日夕刊「牛肉偽装/雪印食品認める」「これは完全犯罪や」
- 注2 30トンの内訳は、営業調達部12.6トン、関東ミートセンター3.53トン、関西ミートセンター13.87トンで、雪印食品は全社で買取制度を悪用
- 注3 日本経済新聞、2002年9月20日「告発の倉庫会社/営業停止処分へ」
- 注4 朝日新聞、2003年1月30日朝刊「牛肉偽装事件で倉庫会社処分/内部告発でも許されぬ」
- 注5 朝日新聞、2002年11月5日夕刊「公表企業は廃業へ/西宮冷蔵売上激減
- 注6 コミュニティ(community)とは 互いに同胞といえるような、多少なりとも信頼関係にあり、対話できる人たちが、共通の目的の下に連帯感をもって集まる集団(参考文献98頁より引用)
- 注7 参考文献100頁の図4.1を引用
< 技術者倫理入門 (13) 技術者倫理入門 (15) >
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