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【連載:技術者倫理入門 (13)】

技術者倫理の理解を深めるための事例シリーズ第3回
三菱自動車リコール隠し事件

安藤 正博  
技術士(機械電気電子総合技術監理部門)  
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今回の事例は、技術者が伝統ある企業組織で「技術者倫理」を実行することが困難となり、さまざまな不祥事を起こした事件で、その内容、背景および教訓について解説します。

1.事件の概要

自動車のリコール制度は1969(昭和44)年から導入され、自動車の安全性能や公害防止に関する欠陥がある際は、自動車メーカーは国の機関に届け出るとともに、無償で回収や修理をしなければならないとする制度です。その後、2002(平成14)年に、このリコール制度の改正法が成立し、無届けで内密に修理を済ませる「リコール隠し」や、ユーザーや整備工場から寄せられた不具合情報を国の機関に届け出ない「クレーム隠し」に対して罰則が強化されました。このようなリコール制度のなかで、以下の三つの事件が発生しました。

(1)クレーム隠し事件(2000年7月)(注1)

この事件の発端は、2000(平成12)年7月匿名情報(内部告発)により、当時の運輸省が特別監査を行い、一連のリコール隠しが明らかになりました。監査結果によりますと、三菱自動1998(平成10)年から1999年10月までのユーザーからのクレーム情報が記載された商品情報連絡書の提出を求められました。しかし、クレーム情報の149件を報告せず、リコール事件に該当しないリストのみを出力印字し、虚偽の報告をしました。また、2000年7月の立ち入り検査でも、1999年11月から2000年6月までのクレーム情報の215件も提出せず、リコール案件に該当しないリストを提出しました。なお、三菱自動車は1977(昭和52)年の立ち入り検査以降、クレーム情報について運輸省に開示するものと秘匿するものに分類し、秘匿するものに「H」マークを記する二重管理を行い、運輸省の立ち入り検査に対して「H」マーク区分を隠していました。これらの内容は品質保証部が中心となって実行され、品質保証部の課長クラスが実質的にクレーム情報の区分処理を担当し、部長に報告しておりました。

(2)ハブ破損死傷事件(2002年1月)

この事件の内容、2004(平成16)年10月10日付の朝日新聞朝刊の記事「点をつなぐ事故/背信の連鎖追求」より引用します。
『2002年1月10日午後3時50分ころ、横浜市瀬谷区の県道で、三菱自動車製の大型トレーラから車輪が脱落する事故が起きた。脱落した重さ約140kgの車輪はベビーカーの親子連れを背後から襲い、母親の命を奪って、子供2人にけがを負わせた。この母子死傷事件から2年が過ぎる時期に警察庁科学警察研究所は一つの鑑定結果を得ていた。事故は車輪と車軸をつなぐ“ハブ”が破損して起きた。鑑定によれば、破損の原因は“金属疲労”だった。争点は“金属疲労”が“なぜ起きたか”に絞られた。整備不良が原因なら三菱自動車の責任は問えないが、構造欠陥ならば立件できる。年を越した2004年1月末、県警は三菱自動車の本社のほかに担当社員らの自宅にまで対象を広げ、大規模な家宅捜索に乗り出した。3月1日、三菱自動車が“ついに非を認めた”。それまで、国土交通省に、“原因は整備不良や過積載だ”と言い続け、記者会見でもそうだった。三菱自動車側を追い込んだのはハブの構造欠陥を指摘する“九つの内部文書”だった。家宅捜索で押収した捜査当局が国土交通省に示し、リコールさせるように強く求めたとされる。この“九つの内部文書”は三菱自動車の技術者が“ハブ破損と整備不良の関係は少ない”などと結論づけていた』
この三菱自動車のトラブルを契機に、自動車メーカーのリコール件数は急増し、2003(平成15)年まで100〜200件でしたが、2004年度は438件、2005(平成17)年度と2006(平成18)年度は約300件にのぼりました。ある自動車メーカーの幹部は「ばれた時のダメージの大きさを三菱自動車リコール隠し事件で知り、企業のリスク管理戦略として“隠すより表に”が一般化しつつある」と発言しておりました。

(3)山口県運転手死亡事件(2002年10月)(注2)

2002年10月19日に、山口県内の山陽自動車道で冷蔵車が暴走し、衝突事故を起こして運転手が死亡しました。この事件は、冷蔵車のクラッチ部品の欠陥、すなわち、エンジンとトランスミッションの結合部で、その剛性不足から破損してプロペラシャフトが落ち、同時に、周辺のブレーキ配管が破損したことが原因で、ブレーキ動作が不能に陥ったとされています。なお、この事件は三菱自動車がクラッチ部品の欠陥を認め、謝罪と損害賠償金を支払いました。
この三つの事件を通して、
  1. 本来ならリコールしなければならない不具合を、ブランドイメージの低下を恐れて隠れて修理する“ヤミ改修”を行ったことで、恣意的に“リコール隠し”をしたことになった。
  2. ハブの強度不足などの構造の欠陥を、約2年前から事故調査班のメンバーが認識していたにも拘らず、リコールを回避するため国土交通省に「整備不良による摩耗が亀裂や破断の原因」と虚偽の報告を行うことになった。
  3. その後、三菱自動車の役員や技術者の幹部は業務上過失致死傷罪、道路運送車両法違反、損害賠償請求の刑事と民事の法的責任が問われたことなどが発覚し、責任追及がなされました。

2.企業組織の風土と体質

この三つの事件は、三菱自動車の人々を取り巻く企業組織の風土と体質にも問題がありました。

(1)三菱自動車の発足(注3)

1970(昭和45)年に三菱重工業から分離し、発足しました。三菱重工業の主力事業は電力会社や防衛省などから発電設備や軍需品などを受注生産し、商品に一般消費者の声を聞き入れる雰囲気は希薄になりがちでした。三菱自動車の国内の収益源は、不特定多数の消費者の好みを製品に取り込む自動車より受注生産的な要素が大きい法人向けトラックが主体でした。

(2)三菱自動車の企業組織(注4)

企業組織は、社長を頂点とする階層組織からなり、典型的なモデルとして独裁型と権限委譲型があります。古くからある独裁型(図1)(注5)では、社長が総務部門を直轄し、総務部門が業務の各部門を管理するスタイルです。一方、権限委譲型(図2)(注5)では、業務の部門が互いに対等で、社長の権限を大半の部分で各部門長に委譲されています。2000年7月にリコール隠しが発覚し、三菱自動車は品質問題調査委員会を設立し、そのトップに企業倫理や人事組織など担当の執行役員であった総務部門の長が据えられていました。そのことは、当時の三菱自動車は、企業組織としては独裁型(図1)だったと推測します。
図1 独裁型企業組織/図2 権限委譲型企業組織
図1 独裁型企業組織(注5)       図2 権限委譲型企業組織(注5)

(3)三菱自動車と三菱グループ(注6)

三菱自動車のリコール隠し事件で、警察の家宅捜索などが行われ、刑事事件への発展を機に、三菱グループ企業の首脳が「三菱グループは企業に厳しい倫理基準を課している」と発言しました。同時に、三菱自動車の社長が辞任を決定し、三菱グループ内での動きに対して大きな反応を示しました。また、三菱自動車は1997(平成9)年の総会屋グループの総会屋対策でも歩調をそろえており、品質問題調査委員会のトップの総務部門の長は、この総会屋事件で起訴され、有罪判決を受けました。このように、当時の三菱自動車は、健全で自主的な経営は困難であったと推測できます。三菱自動車の発足時からの風土と体質を有する組織のなかで、技術者としてコンプライアンス(法令順守のほかに、倫理を含めた社会規範の順守)の行動をとることが困難であったことが想像できます。同時に、優れた技術者が幹部になり、この事件の結果、執行猶予つきですが有罪判決が決定しました。この点では、企業組織のなかで、それなりに活動した技術者の哀れと寂しさを感じる事例です。

3.リコール隠し事件から学ぶべき事項

(1)クレーム情報の社内処理体制の確立

リコール隠しを組織ぐるみで行っていた品質保証部体制を根本的に改革し、強化すると同時に、この組織を監査する社外有識者による企業倫理委員会を設立しました。この委員会の方針は「この一連の事件は人災と捉えて、企業の風土や体質を改め、透明性を高め、信頼される三菱自動車に生まれ変わること」でした。また、品質保証部を品質管理本部に変更し、その本部長は「三菱ブランドの価値、すなわち、クラウン・ネームは100年以上の年月を経て培われてきたものである。三菱グループのどの企業も七転八倒しながらブランドの信頼をつくり上げてきた。この三菱自動車が、このクラウン・ネームをつけたのは30年前からだ。いわば、信頼がすでに確立された名前を苦労することなく利用したことになり、企業風土のなかに、厳しさが欠けたのではないか、どこかがおかしいと感じても、声を大にして言わない風土になってしまったのではないか」と発言しています。非常に含蓄のある内容です。クレーム情報を的確に処理する社内体制は重要ですが、制度があっても機能しない心配がありました。そこで、事件後、クレーム処理は事前の区分けをやめて、品質管理本部で一括して取り扱うことにしました。すなわち、個人や部署ごとでクレーム処理判断の差が生じないように、品質管理本部で統一して取り扱うことで、判断基準のブレをなくすることとしました。

(2)クレーム情報の初期判断の重要性

最初に、クレームの原因が自社の技術的問題として捉えるとともに、ユーザーの使い方にあると判断する点を改めました。常にユーザーと接する最前線の部署(例えば、お客様相談室)の情報を受け入れて判断することにしました。

(3)自動車の安全率に対する認識

自動車は、便益性のため、ある範囲で安全率が許容される風潮がありますが、より一層の安全率向上の不断の努力が必要です。しかし、自動車の事故発生率は鉄道事故発生率の指数を1とすると、4300と格段に高い数値になります(注7)。それは一人ひとりが十分に注意していれば事故は起こさないということが前提になっています。自動車メーカーの技術者は、このことを認識してユーザーの不注意や機転が利かなかった時も、それが危険につながらないように自動車を製造する責任があります。この意識があれば、クレームにも迅速に対応でき、さらに安全性の高い自動車をつくる開発に注力することができます。

<参考文献>
「大学講義・技術者の倫理・学習要領」杉本泰治・橋本義平・安藤正博共著、丸善出版、2012年8月
<注釈>
注1 朝日新聞、2000年7月26日夕刊「三菱自動車のリコールなど届け内容」
注2 朝日新聞、2004年7月2日朝刊「三菱自動車社長ら起訴/欠陥隠し」
注3 朝日新聞、2000年8月23日朝刊「消費者より企業/根深く重工の体質残る」
注4 朝日新聞、1997年10月25日朝刊「三菱/裏でも固い結束?」
注5 参考文献、223頁の図10.1を引用
注6 日本経済新聞、2000年9月10日「揺れる三菱自動車/再生の条件」
注7 「新しい鉄道システム」(新OHM文庫)曽根悟著、オーム社、1987年

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