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【連載:技術者倫理入門 (12)】

技術者倫理の理解を深めるための事例シリーズ第2回
カネミ油症事故

安藤 正博  
技術士(機械電気電子総合技術監理部門)  
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今回のカネミ油症事故は、技術者が
  1. 現場の事象変化に気付きながらも十分に調査や検討しなかった漫然な行為、
  2. 食品の安全性に対する意識の希薄さによる行為、
  3. 事故現場を十分に調査せず、事故の原因を発表する行為、
など、いろいろな不適切な行為の結果、1万人以上の被害者を出した事故について解説します。

1.事故の概要

この事故を起こしたカネミ倉庫の非常勤取締役であった技術者の加藤八千代氏は事故の内容を克明に調査し、後日、著書「隠された事実からのメッセージ(カネミダーク油・油症事故)」(注1)を発表しました。なお、加藤八千代氏はカネミ倉庫の代表取締役の実姉であるにもかかわらず、企業内部に隠されていることを含めて、真実を発表しようという思いを込めて執筆されました。その著書より、事故の概要を引用させていただきます。 『1968(昭和43)年6月頃から福岡県や長崎県を中心として特異な皮膚症状を訴える患者が続出した。10月患者の一人が使用中の米油を大牟田の保健所に届け出て、この米油による中毒事件ではないかと疑いを持つに至った。11月に九州大学油症研究班は、この疾病は北九州にあるカネミ倉庫が製造した米油中に混入した熱媒体PCB(注2)(商品名・カネクロール)の摂取によるものと断定した。PCBの混入原因は、当初、九州大学の調査班によって脱臭缶の加熱コイル(蛇管)のピンホールから脱臭工程中の米油にPCBが漏出し、工場がそれに気づかないまま操業した可能性があると裁判の一審で結論が出された。しかし、高等裁判所ではピンホール説ではなく、工作ミス説が採用されている。当時、“油症ではないか”と届け出た患者は1万人以上にのぼり、食品中毒事故としては稀にみる大事故となった。また、油症が発見される半年前の2月から3月初旬にかけて発生したダーク油事故、すなわち、カネミの製品であるダーク油を配合した飼料によって、西日本各地のニワトリが病気になり、40万羽以上が死ぬという畜産史上稀にみる事故が起きた』
なお、ダーク油は脱臭工程で発生する飛沫油や泡などを回収したもので、暗褐色をしており、ニワトリの飼料用に使用されていました。
カネミ倉庫は福岡県北九州市に本社と工場があり、当時は資本金5000万円、従業員約400人の規模でした。
米糠からとった粗製油を原料にして食用米油(ライスオイル)を製造する際、粗製油は臭いが強く、その臭いを脱臭するプロセスが必要となります。脱臭には粗製油を加熱する必要があり、図1に示すように、脱臭缶内のコイル状の蛇管に高温のPCBを熱媒体として循環させました。カネミ倉庫では、1968年1月末から2月にかけて、媒体のPCBを補充し、結果として280kgのPCBが循環系から漏れて米油に混入していました。さらに、PCBの混入が確認された後も、PCB混入の米油をドラム缶3本を回収し、それを廃棄せず、正常な米油と混合して再び脱臭プロセスを通した後に販売しました。
脱臭缶は図1の全体容器の上部に真空装置を接続し、容器内を負圧の真空状態にします。右側の油入口より未脱臭の粗製油を流し入れ、内部の容器を粗製油で満たします。その後、右側下のカネクロール入パイプより250℃のPCB(沸点300℃以上)を流し込み、PCBはコイル状の蛇管を循環して、真下にあるカネクロール出パイプより流れ出ます。この時、粗製油が満たされた容器内の温度は230℃程度になります。同時に、粗製油の容器の下部より上部に向けて生スチーム(蒸気)を出して、加熱された粗製油を攪拌し、その際に飛沫や泡が米油容器の上部に蒸発します。飛沫や泡は陣笠の防止板に当たって全体容器の下部に溜ります。脱臭作業終了後に図1の下部にある飛沫油出口よりダーク油を排出し、ニワトリの飼料に利用します。
図1 米油(ライスオイル)粗製油の脱臭法
図1 米油(ライスオイル)粗製油の脱臭法(参考文献211頁の図9.1より引用)

2.事故原因の究明

1968年10月に入り、九州大学医学部と福岡県衛生部の油症研究班で、事故原因の究明が始まりました。

(1)異常物質はPCB

最初にヒ素説を否定し、米油製造工程で使用されるメタポリリン酸ナトリウムなどの食品添加物も規格基準に合格でした。患者の皮膚障害を引き起こす可能性のある有機物質などに焦点を当てて分析しましたが、それらは含まれていませんでした。その後に油症の原因となった米油の塩素含量が、正常な米油に比較して約100倍も多く含まれていることが判明しました。鐘淵化学工業(現在のカネカ)が製造販売している商品名のカネクロールというPCBは塩素が主成分であり、米油の異常物質はPCBであると発表されました。

(2)PCBの混入原因

脱臭工程の6基ある脱臭缶でPCBが混入した箇所を見つけるため、粗製油の脱臭工程経路を調査しました。6号脱臭缶でPCBの加熱によって蛇管内に塩化水素ガスが発生し、それが蛇管内の水に溶けて塩酸となり、蛇管を腐食して腐食孔(ピンホール)が生じたと推察の上、そのピンホールからPCBが米油に混入したとする説明を九州大学工学部が発表しました。九州大学の鑑定では、PCBが比較的短い期間で280kgも減少したとする無理な考え方、すなわち、ピンホールから短期間で280kgのPCBが漏れることはないということでしたが、権威のある九州大学工学部教授の鑑定でもあり、一審の裁判では、この鑑定(ピンホール説)が採用されました。
その結果、最初にPCBを製造したメーカである鐘淵化学工業が、PCBの腐食性などの性質について指示や警告をしなかった過失が問題となり、裁判が12年間も迷走し、患者に大きな負担をかけました。権威ある教授になるほど事故の現場に行き、現場を調査し、合理的な判断が不可欠です。事故の現場を調査せず、机上の検討でPCBが漏れるストーリーを構成することは「技術者倫理」に反する行為であると言っても過言ではありません。
事故発生後、12年余り過ぎた1980(昭和55)年になって、従業の一人が供述しました。カネミ倉庫の設備保守をする鉄工係が、1968年1月29日に、1号脱臭缶に取り付けられている隔測温度計の保護管の先端部分にある穴を拡大する工事の際、溶接ミスによって近接している蛇管に穴を開け、そこからPCBが漏出して米油に混入したと説明しました。この場合はPCBを製造した鐘淵化学工業に関係がなくなり、一方的にカネミ倉庫の過失となります。事故当時はPL法(注3)(製造物責任法)は制定されておらず、被害者の患者が損害賠償を請求するには不法行為法(注4)に頼るしかなかったのでした。そこで、患者が加害者の過失を立証する必要があり、PCBの混入原因が重要な争点になりました。

(3)真の原因物質

当時、PCBは安定的な物質で、熱媒体として長時間使用されても変質しないと考えられ、いろいろな製品に使用されていました。したがって、この事故では、長い間、原因物質はPCBとされてきました。その後、PCBの定量分析法が開発され、油症の原因物質はPCBではなく、PCBの高温加熱によってできるダイオキシン類の一つであるポリ塩化ジベンゾフラン(PCDF:Poly Chlorinated Dibenzo Furanの略)やコプラナーPCBであることが判明しました。すなわち、熱反応によってPCBからPCDFが生成され、その反応がステンレス(米油の脱臭缶の中にあるPCBが循環する蛇管の材質)や水の存在によって促進されることが明らかになってきました。1984(昭和59)年に油症の主要な発症因子はPCBでなく、ダイオキシン類のPCDFであることが判明しました。
PCBが使用され始めた頃は、熱に強く、化学的に安定し、電気絶縁が高い有用な物質として電気機器の絶縁油や加熱・冷却用の熱媒体として普及していました。このカネミ油症事故を通じて、自然界に存在しない新しい合成化学物質となり、脅威となることを当時の技術者は予見することは不可能でした。今後、技術者は「自然がつくり出したことのない物質」(注5)が生じる可能性を予見できる技術力を身につけることが必要です。

3.カネミ油症事故から学ぶべき事項

カネミ倉庫の米油(ライスオイル)を製造する技術者の立場、権威ある技術者の立場、製品を研究開発する技術者の立場のそれぞれの見地から反省すべき事項を述べる。

(1)米油を製造する技術者として反省すべき点

  1. 現場の技術者は、PCB280kgが短期間に減少した状況で、十分な検討をせず漫然とPCBを補充しました。現場の変化に対して、多くの疑問点を列挙し、十分に検討の上、適切に対処すべき能力の向上すると同時に、どのような具体策で実施するかを正常時から組織としてルール化しておく必要があります。
  2. PCBが混入した米油を廃棄することなく、正常な米油に混合した上で、再脱臭工程を経て米油を販売しており、食品の技術者として安全性の意識が希薄でした。
  3. 事故の届け出があった10月より約6ヶ月前に、粗製油の脱臭工程で生成されるダーク油を使用したニワトリの飼料を与えたことで、ニワトリの死が頻発して報告を受けていたにも拘らず、その報告による食品安全面での危機管理の意識が低下していた点も反省すべき事項でした。

(2)権威ある技術者として反省すべき点

技術者は現場に行き、現場を十分に調査すべきです。しかし、九州大学工学部の調査班の責任者である教授は、現場を十分に確認することなく、ピンホール説という鑑定を発表しました。この結果、裁判の長期化と混乱を招くことになり、被害者を苦しめることになった点は猛省すべきことでした。今後、権威があると社会的に評価されている技術者は、この点を十分に注意すべきです。

(3)製品を研究開発する技術者として反省すべき点

この事例のように、PCBが高温状態で、ステンレスと水が存在することで、身体に有害なダイオキシン類に変化し、新しい物質になることは当時の技術者は予見できませんでした。今後は新しい技術を採用して、新製品を研究開発する際は、完成した新製品が、将来、公衆をはじめ自然界に有害な影響を与えるかどうかを予見する技術力を技術者が備える必要があります。その上で、技術者は、先見力を発揮し、いろいろな行為を実践することが不可欠になるのです。

<参考文献>
「大学講義・技術者の倫理・学習要領」杉本泰治・橋本義平・安藤正博共著、丸善出版、2012年8月
<注釈>
注1 「隠された事実からのメッセージ」加藤八千代著、幸書房、1985年
注2 PCBはPoly Chlorinated Biphenylの略で、ポリ塩化ビフェニールで有機塩素系化学物質の一種。カネミ油症事故後、法律に基づいて1974(昭和49)年から製造と輸入が禁止となる。
注3 PLはProduct Liabilityの略で、製造の欠陥により、人命、身体または財産にかかわる被害が生じた場合、その製造業者などが損害賠償の責任を負うと定めた法律で、1995(平成7)年7月1日より施行されている。PL法では、損害が製品の欠陥によるものであることを被害者が立証するだけでよい。
注4 不法行為法とは、(参考文献196頁より引用) 加害者に損害賠償金を支払わせ、被害者を救済する。1898(明治31)年に施行された118年以上も前からある民法で、今も有効である。過失によって他人に損害を与えた場合にすべて適用されるので、不法行為の一般といわれている。PL法ができるまでは製造物の欠陥による事故にも欠陥を生じさせた過失を考え、以下の規程が用いられる。被害者が損害賠償を請求するには、(1)受けた損害、(2)加害者の過失、(3)損害はその過失によるものという因果関係の3点を立証する必要がある。
注5 「自然がつくり出したことのない物質」の表現は、1962(昭和37)年、レイチェル・カーソンの著書「SILENT SPRING」(邦題「沈黙の春」)からの引用である。自然に存在する物質は、時間をかけて人間の生命が適応し、バランスがとれている。実験室で、後から後へとつくり出される合成物質は、大地・河川・海岸を汚し、そこで変化するなどして影響は計り知れない。時間をかければ適応するのかもしれないが、それには自然のモノサシで幾世代もの時間がかかる大変なことである。これがカーソンのメッセージである。
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